表裏に「姥が餅」の小判型の焼印が捺され、裏面に「明治二年三月之を求む 金水」と刻まれた大変珍しい我谷盆です。我谷盆は数寄者には言わずもがなですが石川県加賀市旧我谷村で造られていた独特の箟目が美しい栗材の盆で、近年は贋物も多く出回るほど人気のある幻の盆とされております。
翻って「姥が餅」といえば草津宿の名物として慶長以前より現在に至るほど歴史あるものです。いかなる縁によってか我谷村の特異なる木地盆が草津の姥が餅屋にもたらされ、菓子餅を運ぶ什器として長年用いられてきたのか盆の表面はよく熟れて、骨董の盆らしき艶をまとい、いかにも柳宗悦の言った用の美とはこういうものかと思わせる風情です。明治のはじめに加賀より草津の好事家であった姥が餅屋に運ばれ、それが大津、京と街道を転々とたどり、こうして手元にやってきたのでしょうか? 不思議なことです。
姥が餅といえば御庭焼のようなやきものも江戸期から焼いており、それで餅を提供していたようです。八代目当主であった瀬川都義は茶人でもあり、自宅を兼ねていた姥が餅屋には茶室や庭園があったほどだといいます。膳所藩主とも親交を持ち、一種の文化サロン的なコミュニティが草津宿において形成され、そうした伝統が息づいていたからこそ、さまざまな趣味深い道具が集められていたのではないか(かつて同様に姥が餅の焼印が捺された盆を見たことがあります。それは我谷盆ではありませんでしたが面白い木地盆でした)。そう思えば、この独特なる我谷盆が、姥が餅屋にもたらされたという一見珍奇な歴史も、あるいは必然で、ごく当たり前のことだと考え直さざるを得ないのかもしれません。
つらつらと長くなってしまいましたが、寸法がよく、今なお実用性に優れた盆であります。やはり骨董の盆ですから反りはありますが、机に置いても安定していて嬉しいところです。なんとも珍しい唯一無二の我谷盆を、日々の酒の秀でた結界として重用いただけると幸いです。※ご売約ありがとうございました。