(SOLD)伽耶土器 鴨


素朴な表情が愛らしい伽耶の鴨形土器です。たいへん珍しい作品で、東京国立博物館の旧小倉コレクション、韓国国立中央博物館、晋州博物館などに類品が知られますが、少なく得難き考古美術です。

こうした象形土器は、伽耶文化の特色を誇るものと言っていいでしょう。尾に穴を設け注口としており、祭儀用の神酒を容れた明器と考えられます。三角形の穴を穿った台脚はいかにも須恵器の源流といった風情。しかし日本において、こうした鴨は造られず、古代伽耶の工人ならではの朴訥として温和な心情が、鴨の形に託されているのではないかと思います。

伽耶は三国時代(高句麗・新羅・百済)において、慶尚北道から慶尚南道西半部にかけての洛東江流域を中心に散在した小国連盟です。南方に良港を有し、洛東江はその水路によって豊穣な文化や文物を、伽耶諸国のひとびとに齎したようです。流域の平野は豊かな農作を産し、鉄の製造も支えました。さまざまな質のよい出土品からも高度に発達した文化があったことを伺えます。

「日本書紀」によると四世紀後半に日本は任那に拠点を持ったとされますが、この任那とは伽耶諸国、または金海伽耶と考えられるようです。その後、伽耶諸国は五世紀末葉から、百済と新羅による争奪の地となっていく。百済の侵入を受けたため伽耶は新羅に近づき、新羅と百済との対立に発展し、混乱の渦に巻き込まれます。日本も伽耶や百済と外交を展開し、軍事活動にもかかわったとされます。やがて六世紀前半から中葉にかけて伽耶諸国は新羅に飲み込まれ、ついに終焉を迎えました。任那日本府の滅亡も同時期と考えられます。

大らかで高度な文化が育まれた伽耶の産したやきものは、どこか日本人の心の琴線に触れる。伽耶を流れる洛東江には鴨が多く、神の使いとして信仰しました。そのことも鳥を神聖視した古の日本人と重なります。とぼけた表情は、しかしどこか寂しげでもあり、ふしぎと心に訴えかけてくる何かを禁じ得ません。丸く彫られたうつろな目は、伽耶の歴史のほろびゆくのを眺めていたのでしょうか。

当店のそばを流れる白川にも、もちろん鴨川にも、鴨がよく訪れますが、とても可愛らしく、心を癒してくれる生き物です。桐箱はコレクターが誂えた簡素なもので「新羅置物」と書いたシールが貼っています。高台内部には「鴨形土器(三国時代)AD4-5 伽耶(任那の古称)「小さな蕾」1995 9号 P93 掲出?」と記されています。その号は確認していませんが、所載があるのか、あるいは類品という意味でしょうか。いずれにしても、古代の日本と朝鮮を結ぶ考古美術として貴重な作品です。

ご売約まことにありがとうございます。

商品に関するお問い合わせは、お電話またはお問い合わせより御連絡ください。

商品に関するお問い合わせは、
お電話またはお問い合わせより御連絡ください。